城端の小路(じょうはなのしょうじ)

つづらこみち

西上のきよべ呉服店・蔵布都 藍内にある小路。

R304を挟んで「西上の小路」の真向かいにあります。

所在地

R304「善徳寺前交差点」信号北50m きよべ呉服店

蔵布都 藍」と「エルプライム・イシムラ」間

総延長

54歩

特色
●城端の特徴である鈎型道路(クランク)を再現してある。
●ときどきギャラリーとして利用される
●通路の途中にW.C.があり誰でも利用可能。
●私道なので夜間(夜八時〜翌朝九時)は通れない。
●通り抜けると、東町の石畳道に抜け、さらに「伊藤病院の坂」を通り川島に降りられる。

↑1.つづらこみちいりぐちです

 

↑2.城端の特徴でもある小路を店内につくりました

 

↑3.つづらこみちから見た蔵布都 藍

 

↑4.ひだりてに袖ウィンドウがみえます

 

↑5.左に見えるのは昔の蔵の扉です

 

↑6.craft Lunの看板が見えたら、みぎてが入口です

 

↑7.craft Lun入り口から見た店内です

 

↑8.パティオとドールウィンドウ

 

↑9.パティオから見たcraft Lun

 

↑10.店舗裏の駐車場です。車の後ろがつづらこみちです

 

←つづらこみちを抜けて東町にでます。お隣りには掲示板が…。読んでみましょう

西村太冲宅跡

西村太冲は明和四(1767)年、城端町に生まれた。元の姓は蓑谷氏。天文暦学を志して京都の西村遠里の門に入り、その後継者となって西村姓を名乗った。のち大阪の麻田剛立に学び、その高弟の一人に数えられた。寛政十一(1799)年、加賀藩明倫堂の講師に招かれたが、一年で辞して城端に帰り、天文暦学研究にいそしんだ。文政四(1821)年、再び加賀藩に召され、金沢分間絵図の作成、時制の改革、彗星の観測等に指導者的役割を果たし、天保六(1835)年五月、金沢で没した。享年六十八歳。墓は金沢野田山にある。北陸の地に、当時の最先端をいく天文暦学理論と観測技術・機器をもたらした功績は大きい。
       城端町教育委員会

 

6月10日

つづらこみちの東町側に虫籠桟(むしこざん)を取り付けました。 無粋な配電盤の目隠しです。

 花瓶をつって野花を飾りたいと思ってます。

パティオにパラソルとベンチを置きました。 晴れた日はここでコーヒーを飲んでいただくこともできます。

 西から東へと風が抜けるのでとても気持ちのいい空間です。

 秘密の隠れ家みたいでしょ(笑)

新情報 5月20日

つづらこみちが
GoogleMapsストリートビューに掲載されました。

ところどころクリックできる個所があります。探してみてください。

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『城端の小路』 制作;きよべ呉服店
    E-Mail info@craft-ran.com